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四十九日まで [生活]

お通夜と告別式が終わっても油断は出来ません。 

しばらくは葬儀にご都合がつかなかった方々が

自宅にお線香を上げにいらっしゃいます。

お茶とお菓子、お返しをすぐに出せるように他の部屋に準備していました。

また親しかった方々も再度お線香をあげにきてくださいます。

最初の頃は、斎場から持ち帰った2基分くらいのお花があり、

その後は、何度か注文したました。

定期的にお花屋さんからりっぱなお花をくださる方がいらして

四十九日までの間は綺麗なお花がたくさんありました。

バラ以外の花なら色つきでも大丈夫で、父の頃は白い菊ばかりだったのに

時代の変化を感じました。

とりあえずは、母に関連していた方々にはお知らせして

お葬式を行ったので、家に来て下さる方は

私も知っている方が多く、たくさんではありません。

もし、家族だけですませていたら、後がたいへんになり

体調を崩された方もいらっしゃると、葬儀社鈴木さんは

おっしゃっていました。 

我が家には、遠方からいらして下さる方もいらして、

恐縮でしたが、今後もおつきあいさせて頂くかたばかりで

いろいろなお話しがきけたり勇気づけられたりしました。

 

葬儀社から戴いた小冊子には、葬儀後の手続き一覧がのっています。

十四日以内に年金事務所に届けを出しに行かなければなりません。

またお香典を送って下さった方、高額くださったかたには改めての

お礼や他にも事務的なことがありますが、

四十九日の後にすることにしました。

四十九日は親戚だけですが、調べたら引き出物もいるらしいので

母が得意だったお菓子を息子と作りました。

息子は5才から母とお菓子作りを作っているので百個くらいは

スムーズに作ることができます。

売っているものより供養になるような気がしたので作ってみました。 

月がかわると病院からの請求があり、葬儀社への支払いもありました。

葬儀社への支払いの期限はすぐではなく、半月ぐらい過ぎた時が期限でした。

病院には特にお礼をすることはなく事務的に会計を済ませてきました。

短い間で病室も代わったので看護師さんはいろいろな方でしたが、

担当の若い整形外科の先生とは、何度もお会いしたので、

ご挨拶したい気持ちもありましたが遠慮しました。 

同じ病室の方が母の異変に気づいて下さったので感謝していますが

ご挨拶には行きませんでした。 行かれないという方があっているかもしれません。 


喪主になってわかったこと ⑦ [生活]

一泊二日にわたる葬儀社での生活のあと

お骨と共に家に戻り、

葬儀社社員鈴木さんが祭壇を作りに来て下さいました。

家具を移動した部屋に四十九日まで遺骨や遺影、お花を飾ることにしました。

葬儀社の方が作って下さる祭壇は丈夫な紙製の組み立て式で布をかけたもの。

白木?の小机、お線香をあげるセットも貸して下さいます。

線香、マッチ、蝋燭、リン、全て持って来て下さるのです。

また葬儀に来て下さった方にお渡ししたお返しのセット

(紅茶、コーヒーの詰め合わせだったかな・・・・・) 

これを十組くらい家にいらした方にお返しするように

運んで下さいました。使わなかったら返品可です。

 

葬儀のオプションで書き忘れた事 ですが、

葬儀の会場に飾るようにスナップ写真を加工するオプションがあり

結構な高額でした。

これは、頼まずに姪達が母の写真を選び、

葬儀までの二日間でアルバムを作ってくれていました。

注文して小冊子になったもの、額にいれて飾るようにした写真、

五点ほどのりっぱなもので、他に花瓶とお花を一組用意し

受付のそばのテーブルに飾ってもらいました。 

何度か出席した葬儀では、故人のお写真が飾ってあった記憶があり

普段のお姿が忍ばれて良いと思っていましたが

加工していただくと高いということがわかりました。 

お通夜の後、告別式の後、それぞれのお香典はその日のうちに

受付の方が帳簿とともに渡して下さり

毎晩数えて、寝泊まりしていたお部屋の金庫にしまいました。 

これらの現金で戒名代をお上人さまにお渡し出来ました。 

 

 


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