9月の沖縄 [温泉]
9月のある日、「今月中に沖縄に行く?」と旦那。あまりにも急な話、
私の妄想では、会社に知り合いの旅行会社の方がやってきて
「だんな、お安くしておきまっせ、飛行機空いてるから」 と薦められた???
沖縄未経験の私は話に乗り無理矢理モチベーションを高め、慌てて旅行について調査。
沖縄→海→シュノーケル→青の洞窟・・・9月だけどokみたい・・・・・憧れの芭蕉布を見に行く・・・・・・・
わかったことは、沖縄は広く、以上の計画を遂行するには2泊3日では、ゆっくり出来ない。
なので、今回は那覇の近辺で。
とりあえず水着や着替えを詰め込んで出発。那覇についてまず行ったのは飛行場の端にある食堂。
ここは地元で働く人も行くところで、機械で食券を買う。沖縄フードを一通り堪能。アルコール類も。
この後、空港でワインの試飲にはまり、2ケースワインを注文。
そのワイン会社には店舗はなく、各家庭やレストラン他で試飲会をしての販売とのこと。
1泊目は海を気にしていた私への配慮かプール付きのリゾートホテル、
ホテル到着後、温泉付きの部屋へグレードアップを薦められた。
(海のそばだからかしょっぱい温泉だった)
すでにアルコール入りだし、雨模様、プールはパス 。
大きな浴場が二カ所、お土産のショッピングセンターもコンビニもホテル内にあり便利。
ホテルの周囲はリゾートっぽさは特になく目の前は入り江で倉庫があるような場所。
でも夜景はきれい。 部屋にはイスとテーブルのあるベランダ。
夕食はモノレールの駅の方まで歩き、地元のお酒とおつまみで。豆腐を発酵させた「豆腐よう」が美味。
泡盛のブレンド表示は継ぎ足しで何年ものか言い切れないためで他の混ぜ物をしているわけではない等
お話しをきき、一通り試飲し、一升瓶で度数の違うものを6本選ぶ。
前日は空港でワイン12本 (内6本はマグナムサイズ)、お届けをお願いしたので
もはや、お酒買い付けの旅。
古民家レストランで食事、庭を正面にしたテーブル席。屋根が興味深く室内からカメラを上に向けて撮ってみた。
2日目は便利な場所のビジネスホテル。夜は国際通り、修学旅行や国内外からの旅行者で 混んでいた。
この派手なリカちゃん風のマネキンがそのゴチャっとした雰囲気を表してる。
市場で新鮮な魚介類を選び2階の食堂街で調理も可能というところで
豪華な食材で夕食の予定だったが海外からの旅行者でいっぱいで叶わなかった。
国際通りからはずれて平凡なお寿司で夕食。関東にもお店があるチェーン店だった。
最終日、モノレールのフリーパスに気づいた。1日券と2日券があった。
ゆいレールというモノレールに乗って旦那希望の対馬丸記念館。疎開のため子ども達など多くの一般の人々が
乗っていたが潜水艦に攻撃され沈んだ。漂流して助かった方の証言などで平和の大切さや命の尊さを伝えている。
船は(犠牲になった人もきっと・・・)まだ海の中に沈んでいるが、とても費用がかかり引き上げは断念とのこと。
その後、ゆいレールで移動し、「本家新垣ちんすこう」のお店を訪ねたり
途中下車をして車窓から見えた免税店にはいってみる。
沖縄は国内唯一パスポートなしで 利用できるらしいと本で読んでいたけれど、
特に予定していたわけではない。いきあたりばったり・・・・・
普段はウィンドウショッピングに興味のない旦那、ここではめずらしくお付き合い。
ヴィトンでは、いろいろ見せてもらってしばし堪能。値段はデパートと変わらないそう、
でもでも種類が多く、新製品のバッグもたくさんの色が揃っている。目の保養
近くの台湾など海外からのショッピング客も多いのかな。
買ったのはいつも使っている化粧品、おまけとして頂けるサンプルがとてもお得感あり。
高いクリームも容器入り。新製品の口紅も小ぶりながら本物と同じ形でサンプルにしては量が多い。
そして台風が心配される中、無事に飛行機は飛び、台風とは関係のないところで多少揺れたものの
無事に帰宅。想像とは違っていた沖縄旅行。水着はいらなかった・・・・・・・。
カスタムされた心臓 [健康]
コンマいくつかのわずかな確率に当たり、ちょっと難ありになってしまった心臓アブレ-ション手術。
3泊4日で旅は終わらず、血液検査で炎症がおさまる兆しがみえてからの退院となりました。
5泊6日になったので、短い入院には対応していない古い保険から少し入院費が頂けることに。
(うれしいとは言い切れない状況ですが・・・)
帰宅してからも、まだまだ血液検査の結果は正常にならず、
家の階段を上っただけで苦しくなるし、咳が出る。
しばらくは肺に水が溜まっていたようで、その事も退院後2週間後の診察で知りました。
知らなかったので家で咳が出る事に悩んで市販の風邪薬を飲んでしまいました。
(早く教えてくれればいいのに・・・・・・この大病院では上手く質問しないと情報がきけません)
退院後、4日後には出勤。もともと週3日出勤なので大変ではないけれど時々目眩がしました。
歩くのもゆっくりしないと苦しい時期が2週間。
3週間位経つと、だんだんと咳はおさまり、
階段や普通の速さで歩く事も、ほぼ平気になってきました。
今も薬が出ているし、 カルジオホン(伝送心電図)で
朝晩心電図を測って送っています。
家にいながら離れた病院まで心電図が毎日送れるなんて驚きです。
脇を握って手のひらに押しつけるだけ
あとは器械が定期連絡か異常を感じた時かをきいてくるので
それにあった数字のボタンを押せば、勝手に送信し電源もオフにになります。
カスタムの結果
家では動悸がするようになってから血圧計を使っていました。
朝、二回測って2年くらい・・・千回以上は測っているのに、
不整脈のせいで毎回血圧計の表示に「測り直しをオススメします」が出ていました。
それが「正常に測り終えました」に 代わりました。
露骨なドキドキもなくなりました。
確かに余分な信号に反応しないように私の心臓はカスタムされました。
12月の中頃に血液検査をして、まだまだ高いCRP(炎症を表す数値とのことらしい)が
正常になっていれば一段落でしょうか・・・・・どきどき。。。。。。。
手術後、日中も夜中も何度も様子を見に来て下さった担当医の方に気持ちが救われました。感謝します。
おまけ 傷口について
カテーテルをいれた腿の付け根・・・しばらくはグリグリがあって心配したが3週間ほどでなくなった。
首の傷・・・しばらくは赤い痣が目立っていたし、触ると少し痛かったが一週間くらいで薄くなっていった。
予定外の管のあと・・・考えたくもない心臓から血液を抜いた管、これは抜いたとたん傷跡がわからないほど小さく問題なし。
手首・・・・・・手術中拘束されていた左手首の皮がむけた。これには驚いて薬を出してもらった。5日くらい薬と絆創膏をしていたら
皮は戻ったが、まだ痣になっている。
心臓・・・見えないのでわからない。超音波では心臓は動いていた。血液が出たところは直ぐに自然にふさがると説明された。
心臓と心膜の間には潤滑油のようなものが入っているらしいが、それが戻っているのかが知りたいが不明。
一歩手前の夜 [健康]
個室ではないけれど準集中治療室的大部屋で過ごす事になって、
私は頑張って起きていました。
夜眠れなかったら辛いと思ったのですが、今思えばそこで頑張らずに休めば良かったのかもしれません。
夜も 熟睡できなかったのですから。
大部屋の一番端、看護師さんの目が一番行き届く場所にいたのですが、
左側だけはカーテンがしまっていて、隣のベッドから先はみえません。
午後三時に夫が帰ってから、看護師さんが身体を拭いてパジャマを着せてくれました。
起きていようと決めたのでベッドの背もたれを上げてもらいました。
痛み止め等々、点滴がされて 食事どころではなく、
病人らしく吸い飲み器でお水を飲ませてもらっていました。
隣の男性はよく看護師さんを呼んでいて、
一度呼ぶと世間話のように簡単な質問をして話しかけていました。
最初はうるさいと思ったけれど、
きっと不安であろう心中に思いが至ると応援したくなりました。
看護師さんは気持ちを救ってくれる上に、
医学的な相談も一緒に考えてくれる天使かマリア様のような存在でした。
男性看護師もいらっしゃいました。
お隣の方は男性看護師の時はお話しかけが短く、そこは微笑ましかったです。
手術でどこかを切られたのか、何もわかりませんが、相当心細かったようで
次の日、私より早く病室に運ばれるまで、そのような様子でした。
私の担当の先生方も来て下さいましたが、正直いってしばらく顔をみたくない気分でした。
心電図も超音波もレントゲンも機器の方からベッドにやってきます。
胸からの出血も止まっています。でも管を入れているせい?か肋骨にひびが入ったような痛さがあります。
夕方、交代した看護の方は、背が高くがっしりしていて髪型もおしゃれな男性でした。
そして、なぜか私のベッドの横で大きなため息をなさいました。
ため息をつかれるという行為は、あまり気持ちの良いものではなく、ムッとしました。
どうしたものか考えましたが、怒るのはやめて様子を見ることにしました。
行動は他の看護師さんと少し違い、一人一人を管理しているであろうPCの画面を眺める時間が長く、
私のベッドにぶら下がっている袋たち(尿、心臓からの血液)を見て、反対側にぶら下げ直しながら、
血液の袋は2個目で1個目は一杯になっていた事を教えてくれました。
(その情報、この状況にいる・・・?この時、私は、まだどのくらい出血したかしりません。
真実はしりたいので聞いてよかったのですが、少しショック)
また部屋には私の他に11名患者がいるので忙しい事など何気に話しかけてくれます。
私は会話するまでの気力がないので、だまってきいて頭で考える状態です。
大柄で力のある男性なので、体位交換時に右・左と身体を動かして
身体の下のタオルをきれいに直してくれる時は安心感があり
他の痛み止めを使う事になった時の薬の用意は大変に早かったです。
また胸の管に注射器状のものがぶら下がっているのですが、
それを小さいものにかえてくれました。
隣の男性との会話の様子から、ひょっとして次回の国家試験待ちの医学生かもしれません。
それなら、ため息の理由がわかるような気がします。
「お加減いかがですか~?」後ろから 「院長回診です」の声が聞こえ
確かに3名ほど若い女性をつれていらっしゃいました。
私は、ここで愛想笑いをすべきか、イヤできない・・・・・と葛藤。
また後ろから、「心臓アブレ-ションの・・・」と誰かの声。
院長さまは、そそくさとバックをしていなくなってしまいました。
いなくなる前に、一言くらい、声がけして欲しいものです。
最初の一声が軽やかだっただけに、コントのような場面でした。
夜になりベッドもフラットに、肋の辺りも痛いし首も動かすと痛く寝られそうにありません。
酸素も足りなかったようで酸素マスクもしていましたが煩わしく、小さくて簡易のものに代えてもらいました。
担当の先生方が夜にも来て下さり、痛いなら痛み止めを点滴しましょう。ということに。
直ぐにきいて2,3時間はもつとのこと。
実際にはもう痛み止めは使われていて、それは6時間おきにしか使えないので別の薬を使用するということだったらしいです。
その痛み止めは良く効いて、首を動かしても痛くなく、快適でした。
ウトウトしながら、家に帰ったら家族にバリバリご飯を作ろうと思い、使う食器までイメージしました。
痛みがなくなるって、なんて気持ちがよいのでしょう、前向きな私・・・・・・
気持ちがよい世界に漂っていたら看護師さんに検温で起こされました。 Don`t Stop Me Now.
がっかり。
もうこの時間には女性の看護師さんに交代していました。
夜中、やっぱり痛いので同じ痛み止めを使うかどうか看護師さんと相談しました。
時間的には使えるけれど、何かあったときの為にとっておくという事もアリですねとの意見もおききし、
気持ち良すぎたのも心配で、その前に処方されていた点滴で我慢することにしました。
先生は我慢しなくていいと言ってくれていましたが、痛いとつぶやきながらグッタリの夜でした。
手術前日の夜、少量のご飯を食べたきり、ご飯はいつ食べられるのでしょうか。
動けないのにご飯は無理でしょう・・・・・・・・。そんなことも頭をよぎり、
夜中になっても若い担当の先生は様子を見に来て下さり、心電図をとられ、そのうち朝がやってきました。
当日と夫の長い一日 [健康]
入院の翌朝、8時30分にはストレッチャーにのせられ移動。
その前に看護師さんがいらして尿の管をつけたり点滴の用意。
家族は、入院フロアーのエレベーターでお見送りでした。
私はストレッチャーに乗ったまま天井を見ながらの移動、めったに出来ない経験です。
看護師さんが一人でストレッチャーをおしてエレベーターを乗り継ぎ長い廊下を行きます。
手術着は思ったり分厚く、見頃がボタンで留めるようになっていて、
どこからでも管が出せる仕組みです。
手術室は大きなモニターがあり、近未来的、モニター前の台に移動させられ、
複数の人が寄ってきて、血管を確保している腕に板をとりつけたり、酸素マスクをつけたり・・・・・・
酸素マスクが気になって、かけ直して頂き、後は何も覚えていません。
説明書によると治療開始前に、眠くなる薬を持続的に点滴からいれるとあります。
両足の付け根と頚部に局所麻酔とのこと。
付き添ってくれた夫は病室またはその階のナースステーションの前ロビーで
待つようにいわれたそうです。
病室でポツンといるよりロビーの方が良いとロビーで待っていたそうです。
その後の詳しいことは、後になって聞いたのですが
次のような事でした。
3時間くらい経って、担当の主任医師がいらしたそうです。
「治療をほぼ終えたところ、どんどん血圧が下がっていきました」
「心臓と心膜の間に血液が60cc溜まっていました」
「集中治療室一歩手前の状態です」
「本人が話しが出来るようになったら、お呼びします」
夫は命にかかわらないかきいたそうですが、それは大丈夫といわれたそう。
それからの待ち時間が、また長かったそうです。
(ちょっと間違って刺しちゃったわけですね・・・・・もちろん、そういう説明の仕方はなさいませんが)
私が気がついたのは集中治療室一歩手前?の部屋、
カーテンでしきられていてお隣はみえませんが、広い部屋で常に看護師さんなど人がいます。
事情はなんとなくわかり(夫の説明でかな)カラダは痛いし、動く気力もない感じでした。
そこは付添いは3時まで、夫は時間になると帰っていきました。
朝早くから来てもらって、心配をかけてしまい、お疲れ様でした。
それまでに看護師さんにいわれて病室や売店に行き
パジャマやお水などを用意してくれていました。
私には点滴の管、尿の管、心臓の周りの血液を 抜く管、などが繋がっていて、
両足の付け根にはテープがグルグルと巻かれていました。
(テープをとったときにわかったのだけれど、これは止血のため
カテーテルをいれた血管に何かあててそれを固定・・・多少動いても大丈夫)
そして、一般病棟には帰れない長い夜を、そこで過ごすことになりました。
食事はナシ、どこかが痛い、隣のカーテンの中の男性も手術後らしく心細そうで何度も看護師さんをよぶ・・・・・
そこでの人間模様がいろいろあり、辛いながらも忘れられない夜となりました。
カテーテルアブレ-ション前 [健康]
入院した次の日、朝の8時45分から手術とのことでした。
前夜も当日の朝も私のベッドにはたくさんの訪問者がいらっしゃいました。
担当看護師さんは交代するのでお二人、
主任の先生(責任・指導の先生・・・)、担当の先生(ベットに担当と書いてあった)が二人、
他、手術に関わる医師・・・・・と もうお名前は覚え切れていません。
直接、診察したり心電図をとっていかれるのは主に担当の若い先生です。
手術にかかわるであろう医師の方は、「みんなで良くなるように考えてすすめますからね。」
と当日の朝も、声をかけにいらした。力づけて下さったのだと思うのだけれど、
この先生の独特の風貌に真っ赤なサンダルが印象的で少し上の空になってしまいました。
それから、また違う医師が若い女性の先生(学生さん?)をつれてきて
「ときどき様子を見に来させてもらっていいでしょうか?」とお願いにいらした。
後にその若い医師の卵さんがいらした時、「私はどう協力したら良いですか?」と訪ねたら、
「カラダをみせてくれればいいです」 とキッパリおっしゃって聴診器をあてられました。オイオイ・・・・・・
入院して煩わしかったのはモニターを付けていなければならないことでした。
四角い箱から線が出ていて、胸に4カ所、指に一つ繋がっています。
箱を袋に入れて持ち歩かなければいけないし、手洗いする時に悩むし
慣れるまで、かなり扱いに悩みました。
このモニターは、循環器で入院ならではなのか、他の科もそうなのか入院初心者にはわかりませんが、
ナースステーションに通じているようです。
あとで思えば私には経験がないので、もっと扱いについてなど聞けば良かったと思いました。
手術前夜はシャワーを浴びて少しの夕食(量の少なさにおどろいたが手術前だったからのよう)を頂き
9時に就寝となりました。
入院☆初日 [健康]
入院当日の事は3日程前に電話がかかってきて、差額ありの部屋になるけれど良いか?の確認と
時間を教えてくれました。
手術日は家族がいることが必要ときいていましたが、入院は一人でも・・・
と思ったけれど夫が仕事をお休みしてつきあってくれました。
検査があるので飲食はなし、でも午前中に行けば良かったのでゆっくりとロマンスカーで。
できたら箱根方面に行って温泉にはいりたい
部屋はかなり広い4人部屋で収納もたっぷりあります。
(差額なしの部屋は、ほとんど入れないのでは・・・との疑問も感じましたが)
あとで広い理由がわかりました。ストレッチャーを余裕でベットの脇につけられる為?かな。
担当医師から説明があり、合併症などの説明をきき誓約書を提出。
説明書には8項目ほど合併症が挙げられていて
[出血・血腫・シャント、感染、血管穿孔・心筋穿孔・弁損傷、脳梗塞・寒栓症、洞不全・房室ブロック、
狭心症・心筋梗塞、食堂損傷・胃蠕動障がい、横隔膜神経まひ]
それぞれに、例えば、ごくまれに可能性があり、処置が必要になります、といったようなことが書かれていました。
その時の経費は患者もちです、とも。
そして、ついに辛いときいていた経食道心エコー検査をすることになりました。
検査の概要は説明書によると、
[口から直径1センチの管をいれて心臓を食道側からよく観察するもので局所麻酔・注射により鎮静あり]
検査の部屋に入り注射などの準備は男性の看護師さん、胃カメラなどの経験もきかれました。
途中から女性の技師さんに代わったのですが。
まず
ひそひそと、その技師さんは看護師に「このひと経験がアルのナイの」的なことをきいていました。
そして患者には励ましも優しい言葉もなくグイグイと超音波プロープの管なるものを差し込み、
私も飲み込もうと努力するものの口の端にぶつかっていたりするし、強引なやり方で大変でした。
今どき、医療関係者で優しい言葉をかけられない人はめずらしい・・・・・・
そしてこの方は、ざっくりと羽織るようにきた白衣のしたにはヒールの革靴に細い黒のパンツをはいていました。
ゲホゲホしながら目線は下にいくので、その方の黒いヒールを見ながら、サディストの文字が頭をよぎりましたが、
とにかく辛く後々口の中が痛かったです。
ちなみに、この病院では入院患者はかかとのある運動靴や上履きが決まりで
医療関係者もスニーカーかナースシューズでヒールのある靴はめずらしかったし怖く感じました。
秋まで [健康]
大病院に入院まで半年以上あった。その間はごく普通の生活。
入院に関しては、最初にその病院を訪ねたその日に入院の説明があった。
さすが大きな病院はシステムがしっかりしていて、何ヶ月も先の入院でも詳しい話が入院担当部署からあった。
入院のしおり、入院日の事、差額が必要な部屋しか空いていないときの希望、高額医療なので必要な書類など。
それまでは2ヶ月に一回程度、検査に。入院が近づいてくると少し頻繁に。CTで心臓のサイズほか様子や血液検査。
造影剤をいれての撮影もあり、同意書を書いた。造影剤を入れると身体が温かくなり妙に気持ちが良かった(^^;)
主治医の先生の所には薬があるので、いつものように月に一回行っていた。
主治医の先生は、何気にメモに心臓のイラストを描いて説明、
めったに失敗することはない。あるとすれば心臓にはいったカテーテルをまちがってさしてしまうとか・・・・・
でもそんなドジなことはナイだろう。(ドジとは、おっしゃらないけれどニュアンスはこんな感じだった)
それから、手術より、前の日の検査(経食道心エコー)が辛いらしいよ。
でも心臓に血栓があったら危ないので手術は出来ないから大切な検査ですよ。
(血栓が飛んでしまったら梗塞をおこしてしまう・・・・・)
印象に残ったお話はこのくらいですが、世間話風にいくつか手術についてお話して下さった。
そして入院間近の診察の時、退院したら心電図をとるのを楽しみにしているね。 と送り出して下さいました。
優しい先生です。
そして私はパジャマ2組(昼間用と夜のおやすみ用)他、入院のしおりに従って用意した物を
リュックにつめて3泊4日未知への旅に出たのです。
病院選び [健康]
自覚があるほどドキドキしだした時期を考えると
どうやら、ストレスが引き金になって動悸がするようになってしまったらしい・・・・・
今まで、ドラマでショックな事があって急に倒れてしまうとか苦しくなるシーンはありえないと思ってみていたけれど、
そういったことも、あるかもしれないと思えるようになりました。
心臓は心臓全体が電気刺激を良い感じに受けて伝達し適当なペースで収縮しているようです。
その刺激伝導系に何らかのトラブルが生じることで不整脈が引き起こされるとのこと。
カテーテルアブレ-ションは、血管から細い管を心臓までいれて、高周波で被整脈の原因となっている電気回路をたちきる手術。
主治医の先生とどの病院で手術をするかを決めました。
「まずは県内でも症例が多いA病院を薦めるけれど、都合があればどこでも紹介してあげるよ」とのことでした。
A病院は同じ県内と行ってもほとんど行ったことのないところで時間もかかり土地勘もありません。
入院手術といっても普通に生活しているし、なるべく自力で事を運びたいと考えていました。
行き慣れない方向の病院は想像がつきにくく、かといって今思えば下調べもしっかりできていなく
主治医の先生と縁のある某大病院に決めました。
その日のうちに病院間で直接予約を取って下さいました。
そして3月末に手術を受けることに決めたものの、 手術の日程がとれたのは10月でした。