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喪主になってわかったこと ⑤ [生活]

細かい事は、よく覚えていないお通夜の日。

一応は黒の服で、喪服(和服)をもって式場に行き、

喪服を着ようと思ったら久々なのとあせってしまったので帯が結べず、 

夫の方の姪っ子に帯を結んでもらいました。

どの姪も気が利く上にスキルを持っていて、素晴らしいです。 

娘のいない私は感心するばかりです。 

社員鈴木さんに着付けの人を頼まず着物を着たと

褒められました。

 

思いもかけず喪主となり、お上人さまの所作がよく見えるお席で、

これが劇場だったら、特等席だと思いつつも 

うつむきながら、滞りなく式が進むように願うばかりの私でした。

供花に洋花を選んだ今どきの祭壇は、ピンクのお花も入っていて 華やかで、

お棺も骨壺カバーも予想以上に、はっきりとしたピンクです。

(カバーの色は5色位あって写真で選んだ) 

喪主挨拶は前日に台本を書きました。

早口すぎたと身内からのご指摘、

さすがに大っぴらにはリハーサルできないので仕方ないと思う事に。

 

お通夜や告別式に来て下さったり電話でお話しして印象深かったのは 

母の同級生の方々の「昭和の初めの女子校の世界」

当然みんな80才を過ぎていて、

小学校から高校まで女子のみの一貫校、

短大も女子大だった母の独特な感じにふれました。

特に小学校から一緒だった方々は、

「今でも会うとばかみたいに子どもの時に戻って本当に楽しかったの」と

悲しんでくださいました。

 

またもう少し大人になってからのお友達にはグループがあるらしく、 

「グループが違ったけどみんなに内緒で二人で遊びに行ったこともあるの」、

と話して下さった方もいて思春期?までの思い出の影響の大きさを感じたのでした。 

また「~活動」(たぶんボランティアのこと)といった独特の単語もありました。 

 

話はそれますが、このグループというのは

大人になってもかわらないようで、そこでの力関係もそのまま 

なかには、お孫さんの自慢をされる方がいらして

そのお子さんより偏差値の高い学校に行ったら

ハブかれた事件もあり、おそるべしおばあさま方と思う事もありました。

私も子供の頃は「ごきげよう」と挨拶する学校でしたが、

新興住宅街に引っ越してからは、「だべ」と話す男子と

楽しい中学生生活をおくっていました。 

「だべ」と話す男子は語尾はともかく優しくてかっこよかった。

最近、お会いしたところ、人柄のよさはかわっていないけれど

まあ、今となっては、それなりの良いオジサン。お互い様です。 

昼休み、女子達は体育館の外壁に寄っかかって

上級生男子ウォッチングにいそしみました。

同級生の男子はプロレスごっごに興じて子どもっぽいと

思っていました。

平和な田舎の中学生。

子どもの頃の記憶は一生モノなのでしょうか。

 

葬儀の会場の話に戻ります。 

この日は祭壇のある階の上の広い部屋で貸し布団で休みました。

お風呂も台所も付いています。 

順番にお線香を上げに行ったり顔を見たりするものの

お線香は、長持ちする螺旋状のものが点いていて

お線香を絶やしてはいけないという緊張感からは少し解放され 

通夜の式が終わった後は、妹と私の家族しかいないので

近所を意識してしまう我が家より、母とゆっくり出来た気がします。 

家族葬をうたっている今どきの葬儀社ではありませんが、

私のイメージしていた家族葬の感じはこれだと思いました。 

 

お通夜には120名余りの方々が来て下さいました。

ご夫婦にお子様達と一家で来て下さった方もあり、

もっといらして下さっているかもしれません。

毎日、おしゃれをしてお稽古事に出かけていた母・・・・・・ 

そういえば、名前だけでいいからといわれたから

と言って役員もやっていました。

たくさん来て下さってありがとうございました。

お通夜の日は会場で泊まり、みんなでワインをのみ、

朝食は頼まず、泊まらなかった姪達がパンとコーヒーなどを

買って朝来てくれたように記憶しています。 

普段は朝ご飯が何杯でも食べられる食いしん坊な私も

この期間は、食べ物に興味がわかきませんでした。 


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